『今日もオカリナを吹く予定はない 2』

今日もオカリナを吹く予定はない2 (ガガガ文庫)

今日もオカリナを吹く予定はない2 (ガガガ文庫)

何かにノンを唱えるには、まずは身振りを真似なくてはならない。アンチ学園異能の企て……時限爆弾が付いた校舎の完成。極度に抽象化されたキーワード、巧妙な設定はやがて構造/テンプレに感染し歪ませて新しい風景を見せた。敵は味方同士の交通を組織し整理するために登場し退場、彼はまた、すれ違いの可視化だった。コミュニケーションの不可能さをなくすためには条件を満たし他者を受け入れろ。主人公の視点は固定されている、カラー絵を見れば分かることだ。一巻、二巻共に完璧な構図の反復がなされていた。そこを矯正/共生する条件だった。学園異能?今や別の存在だ。ならば何?あるいは何だった?曖昧な物語の起点は、物語の終わりに差し挟まれる唐突な再会で描かれる。二回目の/初めての/出会いにおいて、欠けたままだったパズルの中心が与えられた、それは学園異能ではなかった、「だってほら、エビマヨ君随分とヒマそうにしてるから」。寂しそうな人を部活へ誘う「オカリナ部」部員は変人だらけ「人は、誰しも見えない敵と戦っているんだよ」コミュニケーションの不可能性、不可視の軋轢、システム上の生きにくさ、それが死角だった。他者との間隙に巣食っていた。条件を満たさなくては気付くことすら出来なかった。裸になれば付き合えた。「俺はロリコンだ」学園異能と思っていたものが、最後の最後で実は高校生が友達をつくる話に変身した。実は読者と語り手の間にも死角が存在する「そう、俺はむっつりスケベである」これが条件だ、最初の一行を読むことでようやくぼくは本を読むことができる/そのことに読み終わってから気がつく……
さて、ところが二巻は一巻の用語解説でしかない。一巻が優秀すぎた。死角が黒幕化しないシステムに付随する遍在的抑圧であることや、条件がまさにコミュニケーションツールでしかないこと(ただし二巻では藤村が恋愛中心となっている)、世界が箱庭であることなどが補強しつつ描かれたが、そんなこと、一巻を読めばすでに書いてあるのだから。
けれどラストはさすがという感じ。