『バカとテストと召喚獣7.5』

バカとテストと召喚獣7.5 (ファミ通文庫)

バカとテストと召喚獣7.5 (ファミ通文庫)

たとえばバカテスはつまらなくなったとか、いやそもそも面白かったのは最初の一巻だけだったとか、今更のように事実を確認するのはよそう。一巻以降ストーリーが全く展開しないのは誰の目にも明らかなんだから。順調に基礎学力をつけているのは分かる。来るべき革命に備えて蓄えられた戦力が物語のかすかな歩みを見せている中、異様な速度で繰り広げられるキャラクター同士のコミュニケーションがより鮮やかに目に映る。バカテスはキャラクター小説である。しかし、バカテスにおいてキャラクターが斯くも自由なのはなぜだろうか? さしあたりそれは措くとして、こんな風な疑問は自然だ。つまり、物語は如何にしてキャラクターに乗っ取られた(ように見える)のだろうか、ということ。
ファミ通文庫一流の延命技法があると思う。短編集とはいえ、ほとんどが書き下ろしなんだから、わざわざ短編集にする理由なんて一つしかない。酔っぱらってトランプをしたり、闇鍋をしたりする。本当にどうでもいいイベントだ。そして残りの二つの短編で描かれたのは、内面の捏造ということに尽きる。
バカテスにおいて主要キャラクターの一人称はすべて異なる。発話者が特定し易いようにという機能的な理由に他ならないその一人称の選択が、新しく過去を付け加えられて物語として生まれ変わり、ウチがウチっていうことに運命的な起源が付け加えられる「ウチと日本と知らない単語」。
そして「僕とホンネと召喚獣」で事態はいっそう末期的だ。本来試験召喚戦争のためだった召喚獣の機能を調整して、新しいイベントを行う、というのが繰り返されてきたことを思い出そう。つまり、決して召喚バトルの物語ではなく、バカテスとは、試験戦争にしか使えないと思われていた一つの技術を拡張し、生徒たちのコミュニケーションを補佐する楽しい学園生活のための技術に改造していく物語だったというわけだ。そこで、召喚獣は生徒の成績を可視化することにとどまらず、パラメータは成績から人格へと肥大する。この短篇でついにキャラクターの無意識を代弁するまでになった。学力向上のためのアーキテクチャが生徒同士のコミュニケーションを円滑にした、すばらしい管理システムがここにはある。
また、抵抗し続ける表象の臨界としてのみ設定された秀吉という全く存在価値のないキャラにモノローグが与えられた。同じ顔の双子の姉に簒奪された内面の葛藤。表紙を見れば分かる通り、登場する男キャラのほぼすべてが女装するようになったこの作品では可愛いだけの男の子には意味がない。つまり彼はすでに役目を失った。アニメで彼は過剰に少女としてふるまっていたはずだ、ぼくの見たところまではだけど。しかし、次のようにもいえるだろう。暴露される心のうちですら「こんな話が明久たちにバレてしまえば、ワシは更に女扱いされてしまう」としか思えない彼は、いまだ空虚な鏡としてその場に留まり続け、周りのキャラクターたちはそんな鏡で身だしなみを整えながら、それぞれ自由奔放にくっついたりはなれたりいちゃついたりできるんだ、って。