『夏海紗音と不思議な世界1』

『僕は夏海紗音と不思議な航海に出て、世界の破滅の危機から救った』――主人公がこの物語の回想を始める前、出来事がとうに過ぎ去った後、<いま・ここ>で刻んだ言葉。
少年は、美しい少女にみちびかれ、<ここ>と重なりながらも触れあえないズレた世界へ迷い込んだ。少女は世界の破滅を祈り、海の果てを目指す。未知の世界、きらきらと光る海を帆船ですすむ冒険、行き過ぎた文明が決壊したのだろうか、終末的な夕日が美しかった。途中いくつかの困難がある。さながら通過儀礼のように。いや、この物語はこんなにも気持ちよく児童文学のプロットをなぞっているのだから、思春期の男の子の成長物話として読めるはずだ。女の子を可能な限りたくさん出さなくてはならない/ライトノベルの命題に従って萌えキャラへと転身した事実上のキーアイテムが意外にも興を削ぐのは、だからここでは全く問題ない。いずれ、細かい寓意を読みとる気合も能力もないのだし、なによりそこにはさして面白みもないのだから、少年と少女の出会い以外のものは全て省略しても読解にはいささかも影響しないだろう。それらはすべて、心に孤独を抱える彼がなぜこの世界にやってくることができたのか、物語の端緒の疑問に答えるためだけに、あまりにも都合よく登場するその都合よさを演出しているにすぎないのだから。
夏海紗音はご都合主義を肯定する能力を持っている。彼女の孤独は引力として望むものを引き寄せるのだ。そしてその能力を保持しているという都合よさもまた、(父を海に喪った)少女の寂しさという殺し文句で都合づけられてしまう。これをクライマックス風にアレンジしよう。彼女は<いま>を構成している。彼女の欲望に合わせて、世界は絶えることなく新たに生成を続ける。(もちろん局所的に、あるいはテキストの外部は読者には分からないのだ)。故に最後の局面は、脅しや囁きによる紗音の本音上塗りゲームとなるだろう。長い長い不思議な航海を経て、意識してすらいなかった(していたら旅は始まらなかったのだから)当たり前のことをようやく見出すことができた。歪な力は消え、少年は帰還する。しかし、
彼はなぜ召喚されたのだろう。なぜ彼だったのか。機能的な答えはない。
だからそれは偶然だったのだろう。たまたま出会ったから。
すれちがう世界の記憶を、少年はブログに載せた。
そして、そこまでをを描いたのが本書だった。
これはあまりに抒情的だ。つまり、


「読んでる人いますか?」